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日本画 小田海僊
日本画・小田海僊は1785年、天明5年に生まれた江戸時代後期に活躍した画家です。現在の山口県に生まれた小田海僊は染工業を営む小田家の養子として過ごすことになります。画家を志し、22歳の時分に京都四条派であった松村呉春に入門をしており、様々な高名な画家仲間と切磋琢磨していきます。しかし、その後に瀬山陽に多大なる感銘を受け、南画に傾倒していきます。しかし、初期の呉春の元で勉強していた写実的で繊細な画風の基礎は捨てず、その後の小田海僊作品に大きく影響していきます。南画に転向しいていった小田海僊はまず中国元明の粉本など様々な南宋の技術を取り入れて研磨していきます。元々、真面目な性格であった小田海僊はその飲めり込みの仕方が類をみない程であり、周囲の人々から画痩の画家とも言われる程の勤勉ぶりであったといいます。小田海僊の作品は文人画から人物画などが多く、その艶やかで繊細な力強い作品の数々に大きく評価を得ているのが特徴です。その中でも、取り分け有名である画は中国北栄時代の詩人である林和靖を描いたもので、1830年頃に制作されている作品です。小田海僊の描くこの絵はは険しい顔で何か発想を得るかの如く考えこむ大人の雰囲気を感じる、繊細で力強い作品となっています。梅を愛しながら鶏をも飼育して20年以上も山に籠りながら、自らの芸術と向き合う悠々自適な生活を送っていたという、彼の特徴や言い伝えをよく表しているような作品になっているのです。小田海僊の描く作品の多くは独自の表現方法で描かれ、手を一切抜く事はなく高潔な人物像を魂を込めて描き続けていることが良く分かるのです。自らの芸術を極めることはもちろん、その評価も高いものでした。荻藩の御用絵師となり江戸に滞在していたこともあり、京都に戻ってからは自らが師となり画室を設けるに至った経歴ももち、大きく美術界に貢献していることでも有名なのです。古典を引き継ぎ、古くも新しい挑戦を続け続けた画家、小田海僊。彼の作品は永遠に色褪せることはないのです。
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